2012年6月2日土曜日

コーヒーの芳香を記述してみよ!

という文章がヴィトゲンシュタインの哲学探究にあったと思う。そのあと、「新しい言葉を用意すればいいのか。」と続いたはず。

これを読んだ時は、なるほどなあ、記述なんてできないよなあと思ったんだけど、2,3年前近所にスペシャリティコーヒーの店ができて、まさにコーヒーの芳香を記述している業界があることを知った。

スペシャリティコーヒーとは、正確な定義はないそうだが、上記のようなコーヒーの利き味(カッピングという)ができる専門家(カッパー)が(通常、個別に農場から)直接買い付けたコーヒーのことを言うようだ。カッピングといって、テイスティングと言わないのは、主観を排除して客観的な評価を行うからだとのこと。

カッピングで芳香をどうやって記述するかというと、例えば「バニラのような」とか「はちみつのような」、「花の香り」といったようにたとえで記述する。コーヒーに花の香がするんだろうかと少し思ったけど、そう言われて飲んでみると確かに果実のような香りがしたりする。これはスペシャリティコーヒーとして売られているものが、香り高いものだということもあるのだろう。実際、普通のコーヒーとは全然違う味がする。まあ、私は「はちみつのような」とか細かくは分からないんだけど。

カッピングでは味を記述するだけではなくて、味の点数化も行う。私もちょっとやらせてもらったけど、点数化するところまでは無理だった。これも客観的なものを目指していて、実際熟練したカッパー同士では、スコアリングが大体一致するとのこと。

カッパーになるには、今のところとくに資格試験のようなものはなくて、他のカッパーから認められれば良いそうだ。カッパーとして認められるまでは、自分で豆を焙煎してカッピングして、他のカッパーの意見を聞いて…ということを繰り返すらしい。

さて、このことから分かる教訓だが、まずアナロジーというのは我々の言語を拡張する強力なメカニズムだということが分かると思う。それから、ある「言語ゲーム」が社会で認められるためには、その言語ゲームについて一致する集団があることが、少なくとも条件の一つ(必要条件とも十分条件とも思わないが)になるということが分かるのではないか。私は、哲学探究の、いわゆる私的言語について議論しているとされる部分はよく理解出来ていないし、特に私的言語の不可能性を主張するするつもりもないのだけど、「社会的に認められた言語」になるためにはそれを一貫して使うことができる言語使用者の集団がある、ということがわりと自明な条件だとは言えると思う。